日本のPTAに関しての反響

 

昨日、小学校の電話連絡網が、一字一句間違えてはいけない伝言ゲームになっていて、一言でも間違えるとバッシングを受けるという話を書きました。

すごい反響があり、個人的にメッセージもいただきました。

(学校の電話連絡網は恐怖の伝言ゲーム! 一字一句でも間違えたら大バッシング)

 

PTAの問題は、世間でも話題になっています。 子供のための組織だし、先生と保護者がコミュニケーションをとるために、有効なのだと思うのですが、行き過ぎたルールや必要のない行事、非効率的な運営が保護者の負担になっていることも事実だと思います。

 

まだあった! ベルマーク

 

私はPTAの良し悪しを判断する立場にはありませんが、でも、実際に、一人親で仕事をしないと生活できない、私のような状況では、PTAの弊害がたくさんありました

その中でも特に、誰も幸せにならないのに、惰性で続けていて、これはどうにかならないのか?と思うPTA活動がありました。

 

それは、ベルマーク集めです。

 

先ず、私がびっくりしたのが、「まだベルマークってあるの?」ということでした。 あまり見かけることもなくなりましたし、そんなのQRコードか何かにとっくに変わって、デジタル化されているのかと思っていました。

 

あまりにも非効率的

 

ベルマーク集めは、年に一度このような手順で行われます。

子供にベルマークを集める呼びかけのポスターを画かせる

ベルマークを入れてもらうボックスを手作りする

近所のお店などを一軒一軒回り歩いて、ポスターとボックスを頼んで置いてもらう

学校で「ベルマークを集めましょう」と呼びかけのプリントを配布

ベルマーク集計に駆り出される

2日かけてベルマークを回収して、台紙に貼り付けて、コストをかけて郵送

学校に役立つ備品と交換

 

ベルマーク集計係になってしまうと、2日か3日間、半日もしくは終日、駆り出されます。 これも、やる人がいないと、くじ引きで強制されます。

これだけの労力や時間を使って、集まったベルマーク、いかほどだと思いますか?

 

たった、3万円相当です。

 

あまりにも非効率すぎませんか?

30人以上の大人が半日使って作業して、3万円。 仮に短く見積もって、1時から4時までの3時間の作業だとして、

一人あたり、時給333円です。

 

まったく理解できません。

やる意味があるでしょうか?

 

ちっとも埋まらない考え方の溝

 

私は、一度、ベルマーク集計役のくじ引きを引かされそうになりました。 でも、海外出張の予定が入っていたので、絶対にできないと申し入れました。

すると、また大バッシングを受けて、そんなの不公平だとか、働くのはそっちの勝手な事情だと言われました。

 

本当に頭にきて、もうケンカ覚悟で「何を言われようとできない。 勝手な事情だと言われても、働かなければ生活できないのだから仕方がないし、じゃあPTAが私と息子の生活を保障してくれるんですか? 私の会社の利益を確保してくれるんですか?」とはっきり言いました。

 

それでも、ねちねち文句を言われ、「くじにあたった場合には、絶対に引き受けてもらう」と言われたので、

 

「もし、私があたったら、3万円でも5万円でも払うから、

その分をベルマークの代わりに、備品購入に充ててください。」 

と言いました。

 

すると、個人からの寄付は受け付けられないと言われました。

 

なので、

「わかりました。 もし、じゃあもし私が当たったら、

近所で大々的に、日当30,000円で日雇いのアルバイトを募集して、

そのアルバイトの方を集計作業に参加させます。」

と言いました。

PTAの方はかなり困惑されて、結局私はくじには参加せずにすみました。

 

すると、PTAの方から、

「ベルマーク集計はお金じゃない。 

みんなで集まって協力することに意義がある。 

それを分かっていない。」

とお説教をされました。

 

過ぎてみて思うこと

 

私は、私の言い方や、取った方法がベストだとは思っていません。

それに、PTAを頑張ってやってくださっている方の、存在意義を否定する気もありません。

逆に、私に否定的な意見の方もいらっしゃるでしょう。

ただ、その時は、自分の生活と会社を守ることに必死で、こうするしか思いつきませんでした。

今らなら、もう少しいい折り合いのつけ方があったかもしれない・・とも思います。

でも、ベルマーク集めのような、非効率で、全員に必要のない負担を強いるやり方では、誰も幸せにはなれないと感じました。

みんなで集まって協力することに意義があると言われても、他の協力の仕方があってもいいはずなのに・・・と思いました。

 

以上、私の経験でした。